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令和6年12月4日 午後11時50分頃
与謝野町字岩滝 岩滝グラウンドから南西100m付近で熊が目撃されました。
令和6年11月23日 午前7時頃
与謝野町字男山 与謝の海支援学校付近で熊が目撃されました。
令和6年11月25日
与謝野町字幾地 平地峠の京丹後市との境付近で畜産物の被害が発見されました。
令和6年11月18日
与謝野町字幾地 平地峠の京丹後市との境付近で畜産物の被害が発見されました。
令和6年11月22日
与謝野町字幾地 平地峠の京丹後市との境付近で畜産物の被害が発見されました。
今日、菩提寺の西林寺で昨年亡くなった母の一周忌の法要をしていただきました。葬儀そのものも遺言に従い親族の方だけにお見送りいただいたものであったのですが、今回はコロナやインフルエンザなどの流行りもありますが、家族だけの参列で行っていただきました。お寺での法要の後、お墓参りをし、故人を偲びました。
令和6年11月9日 午後5時35分頃
与謝野町字岩屋 雲岩公園から北西400m付近で熊が目撃されました。
令和6年11月11日 午後7時00分頃
与謝野町字石川 川上公民館から西400m付近で3頭の熊が目撃されました。
令和6年10月23日 午後10時40分頃
与謝野町字下山田 明境神社付近で山へ移動する熊が目撃されました。
### 温もりのリフォーム
築60年の我が家は、昔ながらの日本家屋です。家全体が木の温もりに満ちていて、廊下を歩くと、すり減った床板から微かな木の香りが漂います。しかし、今の時代の快適を求めるには不向きな構造も多々あり、特に冬場の寒さは身に染みます。そんな中でも、私たちは少しずつこの古き良き家を、現代の快適さを取り入れながらリフォームしていくことにしました。
お風呂場もそのひとつです。五右衛門風呂ではありませんが、ガスで湯を張る洗い場のあるタイル張りのスタイルのお風呂です。タイルは見た目には美しいものの、冬場には悪夢のような冷たさをもたらします。隙間の出来た窓からは冷気が侵入し、顔を洗うために水をかける瞬間はまるで凍るようでした。まさに、忍耐とともにシャワーを浴び、その後すぐに家の中を走り回り温まるために、厚着をしなければならないのです。
そんなある日、母がネットで見つけた「畳のマット」をお風呂に敷くことを提案しました。もちろん、本物の畳ではないのですが、見た目にも柔らかそうで、冷たいタイルから解放されることの方が大切だと感じていました。思わず「そんなことしても意味がないんじゃない?」と言いかけましたが、心の中では少しだけ期待を持っていました。
数日後、母が購入したマットが届きました。箱を開けると、香ばしい草の香りがふわっと立ち上ります。マットは軽くて扱いやすく、容易にタイルの上に敷くことができました。母が嬉しそうに「これで冬のお風呂が少しは楽になるね」と笑顔で言うと、私もつられて笑顔になりました。確かに、これで冬のお風呂がほんの少しでも快適になったら、と想像するだけで心が温かくなります。
その夜、私たちは初めてその新しいマットの上でお風呂を楽しむことにしました。湯気の立ち込めるお風呂場に足を踏み入れると、いつもと違う雰囲気に包まれました。マットがタイルの冷たさを和らげてくれ、お風呂へと入る足が心なしか軽く感じます。湯船に浸かりながら、柔らかく、温かいマットの上で語り合うひと時。この瞬間が、私にとって家族の温もりを感じる特別な時間となりました。
お風呂上がり、家族でリビングに集まり、この新しいリフォームについて語り合いました。母が「これから他の部屋も少しずつ手を入れていこうと思う」と言うと、父が「どこをまずやる?」と興味深そうに尋ねました。家族全員が意気込み、次のリフォームの話へと弾んでいきました。これこそが、温かい家庭の象徴です。
冬の寒さを乗り越え、家の中がリフォームを通じて次第に温かさを増していくのを感じました。和室の障子を新しいものに替えたり、リビングのカーペットを厚手のものに変えたり、毎回少しずつ進化していくのが自分たちの手による温もりを実感できる瞬間でもあります。
特に、新しい障子から差し込む朝日には心が躍りました。従来の薄暗い感じが一変し、部屋全体が明るくなります。それを見たとき、私はまるで新生したかのような感覚に包まれました。家全体が時間をかけて私たちに寄り添うように変わっていくのを感じ、古い家が「新しい家」として生まれ変わることに、まるで魔法のような感覚を覚えました。
浴室のマット一つで始まったこのリフォームは、次第に家の中のあらゆる場所に広がっていきました。水回りだけではなく、リビングも改装し、早朝のコーヒーを楽しむ贅沢な空間としました。友人を呼んでお茶会を開けるようになり、楽しいひと時を共に過ごしました。そうした小さな楽しみが、私たちの家庭をより深い温もりで包んでいくのです。
そして、時が経ち、家がさらに温かくなったことで、自然と家族の団らんも増えました。毎晩共に食卓を囲み、ささやかな話を交わし合いながら、それぞれの夢や理想を語り合うことができるようになりました。お風呂に入ること自体が楽しみになり、お酒を片手に「今日はこの話題にしよう」と語り合う夜も増えました。
「変わること」がもたらすものは、ただ快適さだけではありません。心地よい温もりは、家族の絆を深める手助けをしてくれました。リフォームの一つ一つが家を生き生きさせ、私たちの暮らしにとってかけがえのない場所になったのです。
ふと、お風呂場を見渡すと、新しい畳のマットが優しく波打っています。温まった家族の笑顔とともに、これからどんなリフォームを手がけていくのか、楽しみでなりません。温もりのある家は、家族全員にとって心の拠り所であり続けるのです。この家とともに過ごしながら、温かい家庭を築いていこうと、心から誓いました。
こちらの記事。とても的を射てると思うのです。
昨今の日本のみならず西欧日米の劣化を目の当たりにしていると、なにか混沌とした気分にさせられていたのですが、こちらの記事を読んで「なるほど」と膝を叩いた次第。
衆議院議員選挙が始まりましたが、こちらの記事。とても的を射てると思うのです。
昨今の日本のみならず西欧日米の劣化を目の当たりにしていると、なにか混沌とした気分にさせられていたのですが、こちらの記事を読んで「なるほど」と膝を叩いた次第。十年一日(じゅうねんいちじつ)という表現がありますが、日本の政治家や有権者(つまり私たち)の言動を見ているとまさにそれ!与党も野党も時代錯誤この上無い情けなさを呈しているように思えるのです。
衆議院議員選挙が始まりました。子供の頃から自民党支持が当たり前のような土地柄で育ちましたが、都会に出て世界はそれだけでは無い事を知り、様々な人を見てきたら、「変わらない人」「変わりたくない人」のなんと多いこと。いや、自分もその中の一人だったのですが。
遅まきながら自民党という政党とは決別しました。決別なんて書くと自民党に失礼ですね。そんな言葉を使えるほどの価値も無い愚かな政党でした。色々な柵(しがらみ)があるので表だっては言っていませんが、かつての支配者達が支配しやすい社会を作るために、権力と人々の良心とをうまく利用してきただけの政党です。人が繋がっている政党では無く、金で人が繋がってる政党だという事に気づいたので、そこには自分は加わらないぞって思っただけの話です。
令和6年10月12日 午後8時15分頃与謝野町字金屋 鏡山古墳から北西100m付近で熊が目撃されました。
すべてが完璧・・とまではいかなくても、すべてが自分にカスタマイズというのがいいのかな?という印象を持ったのですが、それは古い考え方なのでしょうか?共に寝るというのには、根底にお互いが尊敬しあい好き合ってるというのが無いと成り立たないですが、そこで自分が自分がの我を出し合えばちょっと・・となりそうな気もしたり。いや、そこは個人主義なんだから違うよねということなのかな?う~ん、よく分からないです。
これはもう行き着く先は見えてますね。夜のスナック。個々のお客様専属のバーチャルママがお相手してくれるようになるでしょう。話を聞いてほしい、励ましてほしい、くどくどと何度でも、ネチネチとしつこくても嫌な顔一つせず相手をしてくれる。愛(AI)は金次第かもしれません。
身の回りや部屋が散らかっているより片付いている方が、精神的に良いというのは分かります。でもうっかりすると、すぐに部屋は散らかり始めます。後から見ようとちょっとのつもりで置いた書類が別の物を隠し、別の物が今度はその書類を隠します。もう分からない。
毎日がこの繰り返し。思い出したように少しだけ片づけても、息切れして中途で頓挫。
そしてまた散らかった部屋でいつもの捜し物の生活が再開。
いつもの通りの定点写真を撮影しようとしたら、こんな感じなのでもう少し後から撮影しましょう。今朝はひんやりと言うより肌寒かったです。
低価格の製品を次々と発表をしている中国のシャオミが、ロボット掃除機の分野も出てきました。先日は超低価格のテレビを発表したところですが、これでは日本のメーカーが参入するのにハードルがかなり上がってしまったような気がします。
アプリの自動生成の流れは世界的にも今後加速していくのでしょうが、そういったニュースを見て、(1)自動的に作れる時代になるなら勉強しなくていいや、(2)だからこそしっかり勉強しておかなければ、のどちらになるのでしょうか。これは間違い無く(2)をした人のニーズは時代が進行すればするほどに必要になると思います。
本日は菩提寺のお寺の先代のご住職と奥様の法事です。残念ながら足の不調のため欠席しますが、お二人を忍び、懐かしい思い出にひたりたいと思います。
本日は、孫の通う園で運動会がありました。運動会が楽しみで、昨日は張りきって早く起きておりましたが運動会は明日(本日)だよと言ったらご機嫌ダダ下がりで「じいちゃんバイバイ」と一緒に食べていたのに追い出されました。
そんな楽しみだった運動会。楽しかったそうで、帰宅してから踊った体操なんかを披露してくれました。自分は子供の頃から今に至るまで(今もです)運動会というのは大嫌いなので、このように素直に楽しんでいたら運動会というものがトラウマにならなかったかもしれません。かけっこで順位がつくのがキライだったのです。
おはようございます!
緑いっぱいの気持ちの良い風景ですね。小雨の降る静かな朝でしょうか。心が落ち着きそうです。
良い一日をお過ごしください!????
今朝撮影した定点写真の1枚をGoogle Geminiに「おはよう」と共に送ったら、返ってきた言葉が前述のそれ。
いい仲間になれそう。
愛(AI)は既にお金だけでつながっている人よりずっと人らしくお付き合いできます。
加藤登紀子さんの歌う曲の中に「100万本のバラ」という曲があります。好きな歌でBGMとして流れる歌の中にいつも一度は入っているのですが、聞きながらいつも思うのは、この曲は何が言いたかったのか?ということ。
♪
貧しい絵描きさんが町にやってきた女優に一目惚れし、自分の家もキャンバス(商売道具)もすべて売り払って女優に街中から買い求めた100万本(=たくさんの)バラの花を送り届けた。窓を開けた彼女が見たのは一面に広がるバラの花。
それを見た彼女は、どこかのお金持ちが道楽でそんな事をしたと思っただけ。絵描きはそっと窓から顔出して驚いている女優の姿を見ているだけ。
やがて女優は興行で別の町に移動していく。バラと引き換えにすべてを失った絵描きは、孤独な日々を送った。ただ、そのバラの思い出だけが消えずに生涯残った。
♪
そんな内容の歌ですが、この歌で思い出すのは、昔、まだ自分が20代の頃に聞いたある話。人前で毎週スピーチをしなくてはいけないので、口下手な自分が思いきってある「話し方教室」を受けにいった時のこと。
講師の今は亡き江川ひろしさんが話された話です。以下がその内容です。
▼
『昔、後の豊臣秀吉になる羽柴藤吉郎が織田信長に仕えていたある寒い朝。玄関に控えている時、草履が冷たかろうと自分の懐に入れ温めておき信長が来た時にそれをサッと出した。すると信長が「こら!サル!お前は寒いからワシの草履を尻に敷いていたのだろう!とんでもないヤツだ」とすごい剣幕で怒った。
藤吉郎は「いえ、滅相もございません。殿の御御足が冷たかろうかと懐に入れて温めておりました。」と応えました。すると秀吉はそれを聞いて「それは大義であった」と喜んだ。そして藤吉郎を後々ひきたてていった。』
という話を聞いた事があるでしょう?この話の肝心な所は何だと思いますか?
藤吉郎が信長の草履を懐で温めておいてあげたことでしょうか?
もちろんそれは賞賛すべきことですが、それだけではこの話は出来上がらないのです。
信長と言えば、当時は破竹の勢いのすごい男。その男が「お前、俺の草履を敷いていたのだろう!」と怒っている時に、もし藤吉郎が「いえいぇ・・あの・・ぱぴぷぺぱぴぷぺ・・」と言っていたら、パシャ!と刀で切り捨てられていたことでしょう。
でも藤吉郎がすごかったのはそこから。「いえ、殿。私めは殿の御御足が冷たかろうかと、それではいけないと懐に入れて温めておりました。」と応えたのです。キチンと話したので。話したから手打ちにならず、反対に誉められることになったのです。
いかに話をするということが大切な事か、これでよく分かったかと思います。
▲
必要な事を、必要なだけ、必要な時に、必要な人に伝える事が大切だということ。
100万本のバラの絵描きさんは、それが抜けていたということだなぁといつも思うのです。
役場からのクマ情報です。
令和6年10月4日
与謝野町字三河内 倭文(しどり)神社から西150m付近で柿の被害が発見されました。
増え続けるスマホや各種デバイスに対応するためでしょうが、それらを増やさないための工夫や知恵も必要だろうなと思います。
こういった展示会のほとんどは東京でというのが辛いですが、若い人はこういった展示会を直に見にいくことですばらしい体験や情報収集が出来ると思います。よくある視察旅行は、既存の物を見に行くばかり。こういった展示会は、数年後に一般的に出てくる技術や傾向が直に分かります。地方の、特に若い人達がドンドン見にいくと良いでしょうし、行政などの補助もそういった部分にもっともっと充てられるべきだろうなと思うのです。
いろいろと考えさせられる記事です。私はInsta360を使ってきましたが、最初の頃はGoProというと別格の様な感じでした。やはり事業では先見性とキチンとした物づくりが必要でしょう。どんな分野でも。
(ちょっとマニアックな記事ですが)いつ出てくるのかな?と思っていたものが出てきた感です。この分野(AIを利用した狭い範囲のデータを利用したユーザー対応)はこれから急成長するでしょう。具体的には、誰かの本を買うと、更にその著者が溜め込んでいる大きな情報にAIを経由でアクセスし「これこれの根拠は?」と問えば回答をしたり、更なる情報を教えてくれるというようなものです。
昔々、ある村に浦島太郎という心優しい青年が住んでいました。彼は海辺の小さな村で釣りをしながら静かに暮らしていました。ある日、浦島太郎は浜辺で子供たちが小さな亀をいじめているのを見つけ、亀を助けて海へ逃がしてあげます。その夜、浦島太郎が一人静かに波の音を聞いていると、突然美しい乙姫が現れ、亀を助けたお礼に竜宮城へ招待します。
竜宮城では時間が止まったかのような夢のような日々が流れ、乙姫と浦島太郎は次第に心を通わせます。彼女は冷静で穏やかですが、心の奥底に孤独を抱えているように見えました。浦島太郎もまた、彼女の優しさに惹かれていきますが、彼女の目には時折、何か言い出せない哀しみが宿っていることに気付きます。
やがて浦島太郎は故郷に戻る決心をしますが、乙姫は寂しげな顔で「どうしても行くのですか?」と尋ねます。彼は「いつかまた戻ってきます」と約束し、乙姫から「玉手箱」を託されます。それは、決して開けてはならないと告げられました。
故郷に戻った浦島太郎は、すべてが変わり果てていることに気付きます。村はすでに消え去り、知っている人々は誰もいませんでした。自分が過ごしていた時代はすでに遠い過去のものとなっていたのです。絶望に打ちひしがれた太郎は、無意識に乙姫からもらった玉手箱を開けてしまいます。
箱を開けると、たちまち白い煙が立ち昇り、浦島太郎はたちまち老人となってしまいました。自分の姿を見て愕然とする浦島太郎。ふと、その煙の中に乙姫の姿が浮かび上がり、彼女は涙を流しながら告げます。
「太郎様、私はあなたを愛していました。けれど、私は竜宮の者であり、永遠の時を生きる運命です。あなたと共に過ごしたいと思いながらも、あなたには人としての時間があり、それを奪うことはできませんでした。玉手箱は、私の愛と別れの象徴。箱を開けたとき、あなたの時間は再び動き始めるのです。」
浦島太郎は彼女の言葉を聞きながら、自分が乙姫の愛を受けながらも、共に生きることができなかった運命に涙します。そして、彼女との別れの悲しみとともに、永遠に失われた時間を背負って、孤独に生き続けることを受け入れるしかありませんでした。
作:愛(AI)
ある晴れた朝、私は家の近くのポストに郵便を投函しに出かけた。簡単な用事で、何も起こらないだろうと思っていたのだが、これが大きな間違いだった。
ポストは家から徒歩3分の場所にある。散歩感覚で手紙を持って出発したが、角を曲がると、まず最初に出迎えたのは、近所の猫、ミケ。彼女は私を見るなり、妙に興奮しながら私の足元に絡みついてきた。
「おいおい、ミケ、今日はそんなに遊んでる時間ないんだよ」
しかし、ミケは全く気にする様子もなく、ポストまでの道中ずっと私の足元をチョロチョロとついてくる。そして、ついにポストの前に到着し、手紙を投函しようとしたその瞬間、ミケがポストの上に飛び乗った。
「えっ、ちょっと、どいてくれない?」
私が困っていると、今度は隣の家の犬、ポチが吠えながら駆け寄ってきた。ポチもどうやら参戦したいらしい。彼はミケを見て、ポストの下でピョンピョンと飛び跳ね始めた。ポストは完全に彼らの遊び場に!
「もう、なんでこんなことに…」
その時、背後から声が聞こえた。「あら、朝から楽しそうね!」振り返ると、近所の奥さんが笑顔で私たちを見ている。楽しそうって、これどこが?
結局、ミケとポチの二匹に振り回されながら、手紙を投函するのに10分もかかってしまった。
ポストに到着して手紙を入れるだけのはずが、まさかこんな動物たちとの大騒動になるとは。次回からは、少し遠回りをしようかな、と心に決めた私だった。
※作:愛(AI)
タイ焼きを買って家に戻り、いそいそと袋から取り出した瞬間、驚愕の光景が目の前に広がった。タイ焼きの尻尾から、まるで水があふれ出るようにあんこが流れ出しているではないか!
「な、なんだこれ!?」
これはただの事故なのか?それとも何か深い陰謀が…?私は、冷静にタイ焼き事件の謎を解明することに決めた。
まず、第一の可能性として考えたのは、お店での製造過程のミス。もしかすると、職人さんが気を抜いて、あんこを詰めすぎたのかもしれない。しかし、これだけ見事にタイ焼きから飛び出すほど詰めるのは、さすがに考えにくい。彼らはタイ焼きのプロ。あんこ詰めすぎによるミスとは思えない。
次に疑ったのは、帰り道。タイ焼きを持って家に戻るまでの間、袋の中で何か事件が起きたのだろうか?そうだ、あの時、坂道で思い切り自転車を漕いだ。それで袋が激しく揺れて、タイ焼きが圧力で破裂したのかもしれない。しかし、振り返ってみるとそんなに大きく揺れた覚えはない。
さらに深く考えると、あの瞬間が頭に浮かんだ。お店を出た直後、道端で小さな子供たちが走り回っていた。タイ焼きの袋を持っている私の横をすり抜ける際、一人の男の子がぶつかりそうになった。その瞬間、軽く袋が押されたかもしれない…いや、押されたに違いない!そうだ、あれが原因だ。タイ焼きのあんこがその衝撃で少しずつ中から押し出され、家に着く頃には尻尾から顔を出すほどに…。
推理が一段落ついたところで、私は一口タイ焼きをかじった。尻尾からあんこが出ていても、やっぱり美味しい。謎は解けたが、真相がどうであれ、タイ焼きはタイ焼き。次はもっと慎重に運ぼう、と心に決めた。
そして、ふと袋を見直すと、小さく書かれた文字が目に入った。「あんこ多めサービス中」。…どうやら、全ては単なる親切心によるサービスだったらしい。
※作:愛(AI)
おはようございます。安達正宏です。
昨日、「年賀状を廃止して、ホームページで情報公開」の内容のお知らせをこれまで年賀状をお送りしていた皆さん全員に発送いたしました。で、本日からこちらは本格始動です。
どういった情報が望まれ、また自分がどういった情報を出したいのか、まだまだ調査検討の余地が大いにありますが、とにかくスタートすることから始まるということで開始いたしました。
今年は思いがけぬ病気を色々と経験しておりまして、71歳は厄年か?とか思ったり。怪我以外ではお世話になったことがあまり無い病院に何度も通いすっかり「慣れて」しまいました。
ずっとパソコンばかりいじってたからだよと言われてて、その通りだと思いますが、パソコンをいじっていたからここまでやって来られたと思ってますから、その生活はまだずっと続けていきます。なんたってAIが普及を初めて社会が大きく変化する時に直に関われるのですから、こんなに楽しい事はありません。
コンピューターとの出会い、インターネットとの出会い、そして今AIとの出会い。
こういった数十年ごとに巡ってくる時代のメルクマークもその次はもう立ち会える事は無いでしょうから、これからは愛(AI)に溢れた生活をしていこうと思います。
こちらのホームページは自分自身への刺激の要素が大きいです。
皆さんからの声も聞きたいなと思いますので、そのコーナーも近く設置します。
どうぞおつき合いの程、よろしくお願いいたします。
Webで何かを注文すると、すぐに届けられるというサービスは無理なのだろうか?
たったこれだけの住民を対象にしていて、それは無理だろうと言われる。
でも本当に無理だろうか?
自分は無理じゃないと思うのだけど。
日本にかつてWebの本屋さん(アマゾン)がアメリカからやってきた時に、僕はとても期待した。
なんたって本の購入の不便さに辟易していたから。なにしろ我が家から本屋さんまでは遠い。
遠い?車ですぐじゃないか!という意見もあったけど、車で10から15分。もちろん車は油がいる。
で、到着したら並んでいる本を自分の目で探さなくてはいけない。あるいは何かないかなと。
それが楽しみという人もいるが、僕もそう思う。本の体裁、持った感じ、パラパラと見た印象。
それらはすべて読みやすさに直結するから大切なものだ。
でもそんな雰囲気も次の瞬間に吹き飛んでしまう。目的の本、面白そうな本が無いと分かった時。
おいおい、時間を返してくれよと言いたくなってしまう。
どうしても欲しいなら注文がある。到着まで早くて数日。のんびりすれば一週間から二週間。
ところがアマゾンなら、それが家にいて見るだけで一気に注文まで済んでしまう。
さらに有料会員に登録しておけば、翌日には届けられる。送料も無料で。
このアマゾンが入ってきた時、日本の書店や取り次ぎは何をしただろうか。
邪魔や文句だけをしたり言ったりしていたのは、どこの誰だったろうか?
一部でアマゾンに対抗して便利なシステム構築をした会社もあったが、概ねの既存のお店の
反応は否定的で後ろ向きなものばかりだった。読者の事は二の次で。
この反応を見た時に、僕は日本の書店はアマゾンに食い尽くされると思った。
そしてその通りになったしまっている。書店ばかりか他のあらゆるもので。
自分のアマゾンでの購入はほぼ100%。地元のお店で買わないと非難する人もあるけど、
じゃ地元のお店がこれまでのやり方の何をどう変えてアマゾンなにするものぞと務めてきただろう。地元だから、地場産業だから、日本の昔からあるから、それらは錦の御旗なのか?
当然というか当たり前の話だけど、地元で工夫して挑戦しているお店は利用したいし応援する。
でもそういう事をしていないお店を他に便利なものがあるのに利用したいとは思わない。
そして、それが資本主義というものだ。
日本の鉄道の時刻表どうりの正確さは、そこで働く人達の汗とストレスの結果だということ。
今後このような便利なシステムがドンドン入ってきた時、そのシワ寄せを現場の人にだけ
負わせないような仕組みを同時に作っておかないと、今のマイナ保険証の様な愚かな失敗を
することになるなぁと思った次第です。
役場からのクマ出没情報です。
令和6年9月28日
与謝野町字石川 石川浄水場から西200m付近で栗の被害が発見されました。
令和6年9月30日 午後7時00分頃
与謝野町字弓木 岩滝小学校から南西200m付近で山へ向かう熊が目撃されました。
年賀状をやめてホームページの方へ変更いたしますという案内を、早く出さなきゃと思いながらずっと遅くなっていましたが、ようやく昨日に制作し、先ほど早朝のポストへ投函してきました。
先週の金曜に地域の郵便局で葉書を購入。なんでこんなに急いだかというと10月1日。つまり明日から郵便料金が変わるので、せこい話で恐縮ながら、同じ案内を出すだけなら値上がりの前に・・というので焦った訳です。
で、昨日はいつも年賀状を印刷しているソフトをお正月以来に開くと「バージョンアップします」という表示と共にアップデート作業が始まり20分待たされまして、出鼻くじかれた格好。
その後、こんな文面でいいかとエディタで作り、いつもの様にAIに誤字・脱字・表現などをチェックしてもらうと、珍しくAIから褒め倒されて少しの修正だけでチェック終わり。気分ルンルン♪
で、それを年賀状ソフトに入れてデザイン画面を表示させると、あらら、文字数が多すぎて小さな文字で無いと全文が入りません。若い頃の自分なら読めるさとばかりに処理を進めるところですが、自分でも文字が小さくて読めないのですから、これはイカンと文面修正することに。
この表現気に入っているんだけどなぁと自己陶酔を若干楽しんだあと、AIに文字数を三分の二に減らすようお願い。なんのことはない自分でまた文面を考えるのが面倒になっただけなのですが。
もちろんAIは文句一つも言わずにちゃんと三分の二のボリュームに修正してくれて、パパパっと見ると例の自己陶酔部分はすべてカットになっていて、まぁ時間も無いからいたしかたないかとそれを採用。それが夕刻の話。
宛先リストもすべてチェックして「さぁ印刷!」とクリックすると「プリンタが認識できません」と表示。え?この前も印刷したところなのに。スイッチもケーブルも確認しましたが、特に異常は無し。でもなるほどケーブルを抜き差ししても反応がありません。
ネットワークに繋がっているプリンタの筈なのにどうしても繋がらないので、普段使いのレーザープリンタの方へ。こちらは葉書がまとめて給紙できないので一枚ずつ手差しで印刷しなくちゃいけませんが、今は「緊急事態」なので仕方無しと。
で、葉書の一枚目を手差し窓から入れると、ウ~ンという音と共に中に吸い込まれましたが、ピンポンと音が鳴ってそこで停止。?どうなった?
エラーを調べると、黒色トナーが無くなったみたいと。え~!このタイミングで?インクジェットのインクとくらべてレーザーのトナーは高価なので「そろそろ減ってきてますよ」というお知らせが出る都度ネット経由で購入していたのですが、今回はそれが出てなかったので購入していないから、こりゃダメだわ。
先日郵便局で訊ねたところ、料金が値上がりするのは、2日の一番最初に集荷する分までらしいのですが、それでも間に合わないのでこのレーザープリンタ作戦は完全終了。
そうなると最初の認識できないインクジェットプリンタをなんとか認識してもらうより仕方無いとネットワーク接続はあきらめて、この年賀状ソフトが入っている古いノートPCだけにUSB接続を・・と認識成功!心の中はエベレスト征服の心境ですが、よく考えたらそんなの当たり前の話でお恥ずかしい。
何はともあれこれで印刷が出来るようになり開始。これが夜の8時ころ。
他の用事をすませ印刷の様子を見にいくとなんとかうまく動いている。で印刷出来た葉書を一枚取りだして、そうそう文面をしっかりチェックしていなかったなと今さらながら見直すと、あれれ?おかしいぞ!って箇所を発見。間違いでは無いけど、なんか変なところがありますが、もう事ここまで進んでいるとなんとも・・というので、AIが作ってくれたんだもんね、という他人に責任転嫁して一件落着させることにし作業続行。
で、今朝の5時過ぎに見に行くと、なんとか終了していたので、また忘れるといけないので、早朝のヒンヤリした中をポストまで自転車で行ってきたという次第でした。
ユーモアのドイツでの定義に、こんなんがあるらしいです。なるほど、言われてみれば頷けます。昨今のテレビでのバカ話。いくらテレビの中で面白いだろとギャグを言っても、自分の機嫌が悪ければ笑えないですし、こいつ思想がおかしいぜと思えば笑えません。こういうのはユーモアじゃないってことなのかな。そのようにいろんな事を再定義してみると、社会はニセモノだらけなのかもしれないです。
役場からのクマ情報です。
令和6年9月26日 午後8時45分頃
与謝野町字岩滝 岩滝板列神社境内で子連れの熊が目撃されました。
ようやくこんな感じの朝の季節が到来。半ズボンにTシャツで外へ出ると少し寒い。
今日は天気予報では小雨になりそうでしたので、降る前にと、朝、お墓掃除に行ってきました。遅くなりましたが、ごめんなさい。花は明日持ってきますね。
以前から折り畳みスマホと並んで言われていたものですが、画面の違和感無しならこちらの方が折り畳みよりふさわしいかもと思ったり。来年・・たぶん一生手にする事は無いと思うのですが、面白いものです。
今日は2024年度第二回のよさのの風コンサートでした。今回はJazz。Jazz in Tangoの皆さんのコンサートに共催という形で開催、たくさんの方が来られて秋のジャズを楽しまれました。
この日は、恒例の大江山登山マラソンも開催されました。私は全く縁が無いので行ってませんが、子供はスタッフとしてお手伝いしたようです。
町のクマ出没情報がメルマガで流れてきましたので転載します。
どうしたってクマには負けますので、注意しましょう。
令和6年8月17日 午後8時00分頃
与謝野町字男山 男山浄水場から北300m付近で熊が目撃されました。
令和6年8月18日 午前3時00分頃
与謝野町字岩滝 玉田寺から東100m付近で熊が目撃されました。
令和6年8月20日 午前6時5分頃
与謝野町字岩滝 岩滝小学校付近で熊が目撃されました。
令和6年8月20日 午前11時20分頃
与謝野町字金屋 鏡山古墳から南西100m付近で熊が目撃されました。